2013年09月26日

あいちトリエンナーレ2013(Yバージョン)

Yです。
9月14日〜16日 あいちトリエンナーレ2013に行って来ました。

名古屋には、2010年のトリエンナーレ以来なので、3年ぶり。
前回は、本会場のアートに加えて、ヤン・ファーブルの演劇、コンタクトゴンゾのパフォーマンス、豊田市美術館の石上純也展と恐ろしく充実していたので、今回はどうなんだと期待を抱きながら出かけました。

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まずは、豊田市美術館「反重力展」に。
エルネスト・ネト、内藤礼、レアンドロ・エルリッヒなど現代アートのビッグネームが名を連ねた展覧会なのですが、以外と小粒な作品が多く軽やかでサラリとした印象。テーマが反重力だからかと無理やり納得した次第。


午後からは、トリエンナーレのメイン会場、愛知芸術文化センターへ。

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今回のテーマである「大地が揺れる」のテーマが、一番わかりやすい形であらわれていた会場。印象に残ったのは、コーネリアス・パーカー、フィリップ・ラメットなど。合唱好きの妻は、前に大阪で見ていたにも関わらず、またまた「40声部のモテット」にはまっていたようです。

お決まりのnadiffでアート雑誌を物色した後、夕方には、Mさん、Sさん絶賛の納屋橋会場へ。
3階フロア全体を使った名和晃平の「FOAM」には、素直に感動。大胆でありながら、繊細さ、儚さを感じさせる作品でした。

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2階には、映像作品を中心とした様々な作品が。移民の音楽家をテーマにした「シティズンズ・バンド」、老人合唱団?による「地底からの音」など、海外アーチストの作品が、どれも素晴らしい。
そんな中、何故か、世界を救おうと空しい努力を続ける「スーパーバーバラ」が、愛おしく感じられました。この作品は、芸術文化センター、名古屋市美術館、長者町にも展示されていて、各会場を繋ぐ役割も担っていたようです。

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翌日、まず訪れたのは、名古屋市美術館。青木淳、アルフレッド・ジャーなど会場を大胆に使った作品が多い中、野外にあったのが、藤森照信の「空飛ぶ泥舟」とブラスト・セオリーの「私が残りの人生でやろうとしていること」。
泥舟は無邪気に楽しめたし、セオリーのタブロイドを使った作品の見せ方に新たな可能性を感じました。

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午後訪れた長者町会場では、奈良美智のグループが手掛けたカフェで、ほっこり。
台風前の蒸し暑さにもめげず、全会場回りました。

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最終日、朝から東海地方は台風直撃で大荒れ。高速道路が軒並み通行止めで、泣く泣く岡崎会場はあきらめ、デパ地下では名古屋の旨いもの、HMVではCDを買いまくり、午後には岡山への帰路につきました。


今回のトリエンナーレ、震災後の開催ということもあり、前回とはまた趣の異なる内容で、
直接的に原発や震災を題材にした作品も多く、重苦しい気持ちにならざるを得ない場面もありました。
そうした中、今回納屋橋会場で見た片山真理の作品には、強い衝撃を受けました。
Sさんも後を引く作品だったと紹介されていましたが、病気で両足を切断したにも拘わらず、
アーチストとして自身の身体的な特徴を題材にしながら作品を生み出し続けているのです。

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実は、8月下旬に訪れたベネチアでも、テーマが似通った作品を目の当たりにし衝撃を受けました。写真は、イギリスのアーチスト、マーク・クィンの作品で、モデルになっているのは、同じくイギリスのアーチスト、アリソン・ラッパーです。高さ11mという大きさもあり、
歴史ある教会を背景に異彩を放っていました。

彼女は、アザラシ肢症と呼ばれる身体的特性を持ってこの世に生まれてきましたが、絵筆を口にくわえて絵を描くという方法で、身体障害が芸術的、美的なものであり得る可能性を感じて欲しいという思いを持って、自身をモチーフにした作品を作り続けています。

マーク・クィンも「歴史的に、障害者の不能性は常にネガティブに表象されてきた。そうでないポジティブな表現をすることには意味が有ると信じる。」と語っています。

同時期に、2つの作品を通してアートの力を体感できる、そんな旅になりました。


posted by アートみて歩き at 16:42| Comment(0) | 岡山在住のYの見て歩き
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